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栗の木

栗の木の剪定をしています。 
これらの木々は、枝がいささか縦に伸び過ぎてしまい、
昨年から少しずつ "低くかまえる" 作業をしております。
無知なわたしは「栗が沢山とれる」ということで枝は伸び放題でした。
横に伸び、其処からさらに縦に伸びいつの間にか手のつけられない状態となってしまいました。
まるで無限の成長を期待され増殖し続けた経済のように。
ではどのように "低くかまえる" ようにしていくのか。
昨年のこと。梯子に登り困り果てていたわたしを見るに見かねて声をかけてくれた人がいました。
「上に伸ばし過ぎだ。枝の下から出ている芽を残せ。」と。
上へ上へではなく、下から出ている芽を横へ伸ばす。

その作業を何年か継続することで、木は "低くかまえる" ことになる。
わたしの手が届く範囲の木となる。
無論、栗の収穫は減るのかもしれない。

それでも、わたしの手の廻る範囲の量があればいいのではないか。
その量は、あるいは世の中の誰かにとっては物足りないものなのかもしれない。
それでも、わたしの手の廻る範囲の量があればいいのではないかと思うのです。
何年かののち、いい枝ぶりの栗の木になってくれたら嬉しいです。

1月23日 水曜日は、定休日となります。 
宜しくお願い申し上げます。

"ダイヤモンドダスト(細氷)" とまではいかなくとも、
大地に霜が降りた状態というのは、いくらか幻想的な、あるいは威厳的な感じさえする。
其処に立ち入ってはいけないような、少し引いて観なければならないような世界観。
凍っている、あるいは凍りかけている世界というのは、其の時間軸さえも樹氷と化してしまう。
風も無くまだ昇らぬ太陽も、空を覆う鉛色の雲も動く気配すら無く、
ただ、わたしの吐く息だけが世界が動いているの証のように感じる。
そんな美しい冬を感じることができるのは、わたしのささやかな喜びでもある。

1月16日 水曜日は、定休日となります。 
宜しくお願い申し上げます。

共感

ストーブではナラの薪が静かに燃えている。
時間は13時半を少しまわった頃。
誰も居ない店内でテーブルの片付けを済ませる。
コーヒーでも淹れて休憩をとるかとカップを取り出そうとすると、入り口の鉄扉がキィと音を立てて開く。
ひとりのお客さんだ。
「まだ食事はできますか?」
「用意できます。」 とわたしが答えると、店内をぐるりと見渡し気に入った席に着く。
料理をひとり分準備していると、再び扉がキィと開く。
またひとりのお客さんだ。
注文をいただき、料理を準備する。
最初の方の料理を運んでいるとまたもや扉がキィと開く。
今度はおふたりでの御来店だ。
遅めの昼食を求めるお客さんは、不思議と静かに過ごされる方が多い。
こんな時、わたしはいつも思うことがある。
時間が少しばかり間延びしたような、温かで柔和なひととき。
時間にすればごく短い時間ではあるのだけれど、其の流れの中を漂っているように感じる。
きっとこの中の誰かも、そう感じているのではないかと思う時がある。
"お互いが其の流れを共感するということ"
それがわたしにとっての "カフェ" なのかもしれません。

本年も宜しくお願い申し上げます。

1月9日 水曜日は、定休日となります。 
宜しくお願い申し上げます。

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