- 打ち水
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朝夕の打ち水が日課となるような暑さが続いております。
野外にさらけ出した肌は、煎り豆の如く陽にさらされます。
其処で、自分の廻りの地面や、庭先に、勢いよくパァーっと水をまきますと、
跳ね返る飛沫とともに、清々しい涼が得られます。
これだけの陽差しであれば、
冬のために割った薪もよく乾くであろうなどと、
二節先のことを考えるも、
やはりこの暑さの中では、冬の風すらイメージできず、
打ち水の際、現れた小さな虹をぼんやりと眺めながら、
自らも陽炎の如く、ゆらゆらとしてしまいそうな七月の下旬。
明日、7月28日 水曜日は、定休日となります。
宜しくお願い申し上げます。 -
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- 2010 年 7 月 27 日
- 半月
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梅雨があけたとたん、纏わりつくような湿度は何処へやら。
からりと晴れ渡る日中、
一年振りの真夏の日差し。
射てつくというよりも、光が注ぐといった感じの心地よい陽のひかり。
嗚呼、夏の日差しとは是だと、腕や首筋が思い出すような感覚を憶えます。
夜空に浮かぶは、ぼんやりと輪郭を残す半月。
昨夜の見事な三日月も、まさに幻想の世界の美しさ。
月夜に照らし出されたゆるやかな夜風は、
未だ日中の熱を幾らか孕むも、時に、流れる気持ちの良い風と相まって、
改めて、夏の夜に身を置く自分の中の季節の立ち位置を確認します。
7月21日 水曜日、翌日22日 木曜日は、お休みを頂きます。
宜しくお願い申し上げます。 -
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- 2010 年 7 月 19 日
- “青色”の企画展
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7月17日 土曜日より、7月末日まで、
リトルムッシュでは、"青色"の企画展を開催します。
[commono reproducts WORKERS]
ヒトと服には、密な繋がりが存在します。
わたしたちは、毎日服に袖を通し、毎日洗い、そして、毎日陽にあてます。
毎日袖を通したくなる服とは、無駄を省いたデザインで、着廻しが利き、
その素材の表情こそが、その服の美しさである、というものだと日々感じています。
work × wear
それは、そのヒトにとって、仕事着であり、時に作業着であり、
それは、極めて自然体の服であり、あたりまえの日常着であり、
[commono reproducts ] から、
新芽の枝葉が伸びていくように、自然な成り行きでリリースされた、
[commono reproducts WORKERS]
今回は、シャンブレーをはじめとした、爽やかな "青色" の素材で展開されます。
お食事やお茶とあわせて、楽しい時間を過ごしていただけたらと感じております。 -
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- 2010 年 7 月 16 日
- カタツムリ
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曇天から、夏の太陽を拝むことのないまま、
時に雨模様、時に風を伴いながら、一日が過ぎ行きます。
紫陽花の葉の裏で、其の身を反らすこともなく、
何事もないような面持ちで雨宿りをするカタツムリ。
大きな紫陽花の葉の裏は、大粒の雨をも凌ぐことができるようで、
カタツムリは、ただただじっと、その場を動く気配すら感じさせません。
ふと眼に入った雑誌の表紙。
黒の中に、赤の挿絵が入るシンプルな装訂は、
蒸し暑い午後の合間をスッと抜ける風の様です。
この雑誌が発売されたのは1967年。
デザインというものは、この頃既に完成の粋に達し、
現代は、その延長線上に留まっているだけのように感じてしまうほど、美しい装訂です。
大切なのは、卓越した"テクニック"ではなく、
其の人が持つ"素の感性"であると感じさせられました。
7月14日 水曜日は、定休日となります。
宜しくお願い申し上げます。 -
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- 2010 年 7 月 13 日
- 短冊
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笹の葉さらさら のきばにゆれる
幼い頃、短冊に綴った願いとは何であったのか。
今ではその記憶もあやふやとなり、
過ぎていった年月の長さというものを、
改めて考えてしまう蒸し暑い七月のはじめ。
その願いとは、おそらくは、自分にとって身近な願いであり、
手を伸ばせば届くかもしれない夢であったのかもしれません。
大人になると、なにかと現実的な発想ばかり頭を過りますが、
今年の七夕は、少しばかり夢を画くのも趣のあることのように感じます。
7月7日 七夕の水曜日は定休日となります。
宜しくお願い申し上げます。 -
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- 2010 年 7 月 6 日